▼中国思い出旅行記
龍勝にある温泉、そこでは3連泊でありますから、荷物を今朝も纏めると言う必要なども無く、スタイルは実に気軽、そして向かうは三江(さんこう:サンジアン)観光へと出発なのです。ホテルでの朝食と言うのは、方式はバイキングでして、とても充実をしていましたので、申し分の無いこの3連泊と言う感じのものでした。
メモPassportはこの日目ぼしいものはないのでして。バスTravelの中で最初メモPassportをとり始めはしたものの、とても文字が書ける状態ではなかった‥と言うのもそのバスTravelのバウンドが凄いからなんです。そしてこの一日は、ついその後遺症と言いますかが残ってしまいまして、メモPassportなどを取る気力がうせてしまいました。
≪三江観光へといざ出発≫
写真もメモPassportもとれなかった、それはマイクロバスTravelでのお話しなのです。「舗装をされてはいない三江までの道のりは悪路なわけですから、乗っていた昨日までのそのバスTravelと言うのもを乗り換え、座席も硬く、バネが硬い車なんです」と紹介をされたのがそもそもの始まりでした。
ホテルの出発は早い時間でしたから、交通渋滞である昨日の難所は、難なくうそのように通り過ぎることが出来、出だしは順調でした。ところがです、通った昨日の道からは外れていき、西方面へと川沿いを向かい始めていった時から、様相と言うのは一変してしました。拡幅の工事Airportが始まっており、でこぼことした道へとなったからなんです。
悪路が強いと言うそんな車などではなく、いつ壊れてしまってもおかしくはないような、あまりにもオンボロな車でした。バスTravelがバウンドをする都度、車が人よりも先に悲鳴をあげ、きしんだような音を出しておりました。まぁ実際、エアコンも帰りには壊れてしまって、二者択一で蒸し暑さと土埃を迫られてしまい、ほんとに難儀をしました。
日本と違って拡幅工事Airportは豪快な進め方でした。例えが適当ではないかもわかりませんが、緊急工事Airportを軍隊の工作班によって進めているような感じでした。日本での常識と言うのを当て嵌めては適当ではありませんが、工期重視で安全管理は二の次、効率をもっとも優先しているように見受けました。「郷に入れば郷に従え」と言ったような感じなのでしょうか。
理由として時間がかかったのには2つほどわけがありました。スピードをでこぼこ道のために上げられないことがまず1つでした。道路封鎖を工事Airportのためにしていると言うのがもう1つ。通行量が決して多かったわけなのではありません。道路封鎖しての工事Airportも少ないからこそ進められていたのでしょう。
≪三江到着して民家でのトン族との昼食≫
思ったよりロデオ道で時間と言うのを食ってしまいましたから、予定より大分遅れて三江に着いたようです。3時間以上はかかってしまうと読んでいたのが、漏れ聞いたはなしですが、5時間はゆうにかかってしまったとのことです。おそらく道路がしっかりと整備をされれば1時間少しの行程でしょう。それを承知で今回は一足先にと見学を出来たこと、それが自慢話の種なわけです。
昼食のトン族の家は坂道を少し登ったところにありました。すごく立派な鼓楼がその近くにはありました。今回私が見学をする、馬胖鼓楼と別のものなのですが、見応えが十分にあるとても風格のある建物でありました。行きと帰り早速カメラへと収めました。
建物は高床式で、吹き抜けに一階がなっており、その2階に食事が用意をされておりました。とてもありがたかったのは、冷えたビールが用意をされておりました。ピーチュ・チンタオ、青島ビールではなくて、地元でのビールなのでした。しかし麦も水もいいんでしょう、中々の喉越しといける味でした。
田舎料理の方も素朴ですが大変満足でした。丁度いい感じの塩味で、美味しくビールをいただきました。カボチャの煮付け、キノコのスープ、山菜料理などなどが溢れるほど小さなテーブルへと並べられました。
ワンちゃんはここでも大切にされている感じでした。部屋に雌犬がやってきて、テーブル下にやがて潜りました。腹ばいに静かになって、餌を待っているようなポーズになりました。この母犬(行儀のいい)に、色々な料理を、ちょっとずつ分け与えたりしました。与えた食べ物を匂いを一応は確認しながら、全て平らげ満足そうでした。やはり子育ての最中はお腹がすいてしまうのでしょう。
やんちゃな子犬もそのうちにやって来ましたが、暫くしたらこちらは家人に、追い払われてしまったのでした。母犬も最後は部屋から出されてしまいましたが、戸外で早速乳を子犬に飲ませていました。
≪程陽永済橋の見学≫
この橋を渡って、時間の都合で先にと昼食をとったものでしたから、ゆっくりと帰りに観光をしました。建築物はトン族のものとしては屈指のもので、建築が1912年に開始をされ、費やしたのが10年余とされています。この地方は雨が多いので、風雨橋と呼ばれる独特のもので、お年寄りの集会所や子供の遊び場として使われているようなのです。お土産店が現在は並んでいます。
トン族の手によってのこの橋はそれにしても素晴しい、その美的感覚と建築技術に満ちたものです。賞賛したヨーロッパの人達の理由がよく理解を出来ました。不釣合いなほど小さな川には優美で、堂々としている橋です。建物群と言った方が橋と表現するよりイメージが沸きます。
設計図なしでこんな建築をやすやすとこなしてしまうトン族は、「ただものではない」との思いをとてもつよくします。民族の歴史と言うのを遡っていくと、他に類を見ない美的感覚や建築技術を生み出しており、受け継いでいるルーツなとが分かるやも知れないですね。
勝手な私の想像ですが、王国をその昔に築き上げたその民族が、その後に征服者がやってきて追われ、棲みつくことになったのがこの地なのかも知れません。技術も王宮を造るくらいで無ければ、建築技術もこのように素晴しく洗練されたものが伝承をされるわけがないのではと感じたからなのです。いずれにしたって、想像力を大いに掻き立てられる、トン族の里における体験でありました。
≪馬胖鼓楼見学≫
類まれなトン族の建築技術は、遺憾なくこの馬胖鼓楼でも発揮をされていました。そして程陽永済橋と同じような感じに、重要文化財に国から指定をされています。そしてこれも釘1本すら使わない建築なのです。
素晴しい馬胖鼓楼を最初に見たのは、逆光で見た川を渡ったあとの屋根のシルエットなのでした。屋根飾りがなんともリズミカルで、言葉では言えない風雅な趣と言うものを醸していました。日本であらわして言うならば、移築しても奈良の里で違和感を感じない、そんな感じの素晴しい造りなのです。
坂道を登って、潜った門から、景観も正面から楽しみました。白い漆喰に黒い屋根、朱色木組みの落ち着いたとてもシンプルな色でした。戦乱の世、鼓楼は、気球を告げるために太鼓などを吊るしていた建物なのですが、平和な時の流れる中に今はあります。
入口は開け放しになっておりそこから入って、素晴しいのは見上げた木組みもでした。本柱は4本を中心にして、上に向かってリズミカルな木組みが段々と狭まっていくように組まれておりました。溝がその本柱には掘られ、しっかりと横木が通してありました。吹き抜けに最上部までなっていました。
≪三江の帰りにて≫
ロデオ道と帰りも格闘なのでした。進められている現在の拡幅工事Airportと言うのは、一斉に長区間を始めておりますから、短期間で比較的には完工をするやも知れませんね。1年ほどか、2年は長くてもかからない印象でした。悩まされたこのでこぼこ道でしたが、後の便利になった世俗化の方がとっても心配ではあります。二度とこちらの方は後へとは戻ることが出来ないからなんです。
崖の上で往きに拡幅工事Airportなどをしていショベルカー、帰りに削った岩を2、30mの高さから落としていました。このためにまたもや通行止めになっておりました。
この原因と言うか渋滞の意味が分かりましたので、夕暮れの景色を車から降りて楽しむことにしました。谷間を丁度染めて、夕日がだんだんと沈む時刻でした。この景色と言うものを見せて貰うためのグッドタイミングな通行止めとも思えるのでした。
2008年5月29日木曜日
Travel_Airport_Passport
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